寒い冬の後、春の山菜の苦味は長い冬に体にたまった毒素を出す意味でも、理にかなっているという。大昔から人は自然と共存して自然の恩恵にあやかり自然のありがたさや怖さを身を持って理解していたはず。
今回の震災も脅威を見せ付けてくれた。が、人の力はまったく無に近い。
くわえて今年も春の到着は遅かった。三月になっても寒い日が続いて、毎年母の家の日当たりの良い丘に自生している蓬と、三つ葉をやっといただくことが出来た。凍てつく大地から芽を出して葉をつけてくる彼らの自然の力をもらえる気がする。毎年の恒例である。
少し前にふきのとうも取った。ふきのとうは最初の早春の贅沢。あの苦味が体中に染み渡る気がして、うれしい。
それから花山葵。これも春ならでは。綺麗な水辺にしか自生しない。(これは毎年店先に並んだときに買うもの)
田舎ゆえの贅沢。しょうゆ漬けにしておくだけ。
お勧めはアボカドの上に乗せて食べる事。意外な美味しさにびっくり。
三つ葉といえば、店頭で見るものはやたら背が高く茎の部分もやたらファッションモデルのように長くて白い。が、自生の三つ葉は地面に這うように育つ。太陽の光をたっぷり浴びられるように広がって育つのだ。
其の三つ葉をまだ、若葉のうちに、いただくのである。なんという贅沢。なんというありがたさ。はさみを入れたときの香りがみずみずしく鼻にのぼってくる。
色、香り、そして栄養満点の天然の三つ葉である。
まずはたっぷりとおひたし。これはもう、言葉が無い・・・である。こんな贅沢な一品をいただけることを感謝して。さくさくと葉に楽しく、噛むと香りが鼻腔中に広がる。
そして、薬味や飾りにはもちろん、春の彩り、春の味である。
蓬・・・・・・これも大昔から食されている日本ならではの山菜の一つ。この蓬も自生。(春の野に出でて若菜摘む・・・・・・・・・・・・・・まさにそのとおり)
母や祖母がしていたようにゆでた後、すり鉢と擂り粉木で蓬を擂っていく。鮮やかな蓬の緑が本当に目にまぶしく見るからに体に元気を与えてくれそうだ。
蓬餅に、蓬団子。
蓬パンに、蓬白玉。
この、春限定の楽しみを毎年続けられる事にまた感謝。日本人である事の喜び。
自然はありがたく、感謝を忘れてはいけない。
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