本日納骨が終了。
この約一か月・・・・・母が逝去してからのこの一か月・・・・気持ちがローラーコースターのようにめまぐるしかった・・・・
何をしても、何を見ても母を連想するものは涙がすぐに出てくる。
そんな折、数日前、買い物に行ったら秋の味覚、栗がならんでいた。
栗と言えば母の作る渋皮煮が、おいしくて大好きで、毎年必ず作ってもらっていた。母の最期の渋皮煮は2010年のもの。
その時のものが野菜室にまだ保管してある。昨年煮直したけれど、いまだに食べられる。ブランデーを少し足しておいた。
味は少し落ちているけれど、マフィンなどに混ぜ込めば、まだおいしく食べられる。
そんなことを思い、栗を見て、渋皮煮を作ろうかと思い立った。昨年母が入院中、初めて作ってみた。出来上がりはあまり良くなかったけれども母はおいしいと食べてくれた。それまで母に頼りっきりだったから、自分で作ってみるとこれがなかなか大変な作業で、こんな思いをして作ってくれていたのかと思うとますます、ありがたい。時間と根気のいる作業、そしてなにより、きれいに作ってみたいという情熱がそのまま仕上がりに反映される。
作り始めはもちろん悲しくて、母を思いながら泣きながら作り始めた。
そんな思いまでして…と思う反面、母を偲び、泣きながら作ればいいと、母が生きていたら上手にできたねと、言われるような仕上がりにしようと、集中して作ることをした。
一つ一つ丁寧に、優しくいたわりながら大粒の栗を形を崩さず煮あげた。
納骨と清めの後、叔父、叔母が家に立ち寄りお茶を呼ばれていったので、その際、さっそく渋皮煮をふるまった。叔父の一人は母のそれが大好きだったので、母のものほど上手ではないかもしれないというと、一粒食べて、おいしい、おいしいと、絶賛してくれた。母のものと同じくらい、おいしいという。蛙の子は蛙・・・・かも?
綺麗においしく仕上がった栗を皆でいただき、母を偲び再度の供養ができた。小さな位牌に父と並んで鎮座した母。祭壇はすっかり取り片づけられて、和室は何もなくなってしまった。
それがまた悲しいのだが、一つ、一つ乗り越えるしか方法はない。
これから、違うさみしさや悲しさがやってくるに違いないけれど、その都度その時期のもので母から教わった味を一つずつ自分の手で作っていこうと思う。
感情を抑えず、自分に素直に、そして、また少しづつ”作る”という、喜びを思い出しながら。