モルヒネの副作用で、腸の動きがすっかり弱ってしまって、腸の中にも、腫瘍があり、悪さをしていて、閉塞をおこしてしまった。
違う痛みどめを、使わざるを得なくなったのだけれど過渡期の母の辛さを見るのは私にとっても地獄のようだった。
どう体位をかえても痛がる腫瘍が暴れて、すっかり衰弱してしまっている。覚悟が出来てはいるけれども本当につらい。
一切、食事をとることができなくなってしまったし、意識も朦朧としていて、癌患者最後の特有な症状、せん妄が多くなっている。
それでも、孫の誕生日を前に、その日はお祝いをしようね。といった私の言葉を励みに本当に頑張ってくれた。意識が朧ながらも当日夕方近くに目を覚まし、ホスピスの主治医、看護師たちも部屋に集まってくれて、誰の誕生日だった?母のだったかしら?というくらい皆に祝ってもらって、娘はもちろんのこと、何より母のうれしそうな笑顔と、皆さんのおかげでありがとう。と、やっと声にできる感謝の気持ちをスタッフに伝えていた。
前日、医師から特別許可をもらい、ケーキを一口、いえ、二口でも三口でもいいよ。と先生からの、言葉を聞き、当日を楽しみに待っていてくれた。
娘の誕生日なのに母の好物のチーズケーキ。娘も、もちろん大賛成、理解してくれた。
庭のブルーベリーとミントをのせて |
今回は食べられるものの最後だった今が旬の桃を載せたチーズケーキにした。
白桃の缶詰を使うのだけれど味にうるさい母のため、もちろん、国産を選んできれいに焼き上げた。
母に食べやすいよう今回は生クリームを多めに少しRunny(柔らかく壊れそうな仕上がり)にした。
ハピィバースデーの歌を母もスタッフの方と一緒に歌ってくれてびっくり。意識のもうろうの中で一生懸命歌ってくれた。
私も娘も涙涙。娘は今までで一番素敵な誕生日と、喜び、母も本当にうれしそうだった。
一口ケーキをなめただけだったけれど、あ、おいしい、おいしいと、数日ぶりに口にした食べ物にうれしそうだった。けれども病状の悪化のために本当に一口なめただけであとはもう、受け付けない。
病棟のスタッフとともに分けていただいた。皆にお祝いされて、娘も果報者だ。
翌日、母は私がいる間中、目を覚まさず、ひたすら眠り続けていた。痛い、痛いとつらそうな表情はなく、穏やかに、薬のおかげで眠っていた。
いままで、約一年、母と一緒に走り続けてきた。去年の9月の始めにやけどをしたことを皮切りに、次は骨折をし、そして癌が見つかり・・・・・
母も一生懸命頑張った。本当に勇敢だった。骨折の後のリハビリには目を見張った。元気を取り戻したかに見えたけれど病魔には勝てなかった。見守ってあげること、そばにいてあげることしかできなかった。でも、悔いはない。私なりにできるだけのことをしてあげたつもりだ。
最後の残された時間を少しでも母が安堵の気持ちで過ごせるように、そして、私もできるだけ一緒の時間を過ごしてあげたい。
8月に急激に悪化し、少し元気になったとき、孫の誕生日までは頑張ろうね。と言ったら、にっこりと、「そうだったね、そうだ、誕生日までね。」……と、いった母。