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2015年9月14日月曜日

自然の驚異

やっとやってきてくれた晴れ間九月になってから、お天気はずっと機嫌が悪かった。お盆が過ぎてからパリッ!カラッ!と、晴れた日がなかなかやってこなくて、猛暑の後の長雨。秋雨前線と台風の影響で、しかも、二つ同時に日本にやってきた。ダブル台風は今年、三回目?四回目?一度に二つの台風の影響。本当におかしな気候になってきている。

先週の台風と前線の影響で栃木県、茨城県、そして、宮城県。そのほかにも多大な被害があり、なんといっても鬼怒川の大氾濫で被災し家を失くされた方、怪我や、未だ行方不明の方。そして、大切な命を失くされた方々に心からお見舞いを申し上げます。
台風が過ぎ去った翌日の朝。
私の亡くなった母がやっと物心ついた、85年以上も前、母も祖父母とともに住んでいた家がそばを流れていた川が氾濫しすべてを失い押し流された経験を持ち、幼少期の経験であったけれども老いても尚、よくその話をしてくれました。長雨が続くと必ず不安になり、高台の家が終の棲家で浸水の心配はしなくてもいいのよといいながらも、いつも雨は嫌いと話していたことを、思い出しています。濁流と土砂、音と匂い、水の作る風。すべてを鮮明に覚えていると、話してくれたことを思い、被災者の方のお気持ちを察するに余りあります。
一日も早い生活基盤の復旧と、心の落ち着きが取り戻せますように、お祈りいたします。

自然は過酷です。噴火に洪水、地震に、、、、、、次は何がやってくるのでしょうか。
明日は何が起きるか本当にわからない不安の中、大事な家族や大切な人に今日もありがとう、そして愛していることを伝え、食べるものと住むところのあることへの感謝をしています。
彼岸花。曼珠沙華が誰も住んでいない家の庭に盛りと咲いています。きれいな訪問者が悠々と飛んでいます。

2015年9月6日日曜日

初秋の色 鳶色、藍色鳩羽色、嵯峨鼠色・・・

九月。夏の疲れが年々細部にまで感じられるようになってきます。朝晩の気温変化の調節も毎年難しくて、半袖では肌寒い…長袖では汗が出る・・・と。また、夏掛けでは目覚めてしまうような夜があったと思えば、汗が出てくるような夜もあったりで、九月は体もびっくりする日々が続きます。
石榴の掛軸、母の作品です。秋らしいお軸を床の間に。
そういえば、今年のロンドンは夏がほとんどなくて、私が帰国する数日前の30度近い真夏の一日があっただけとか・・・ここ数日は暖炉を焚いてもいいような日々とか。おまけにほとんど毎日雨。避雨生活ができる私は幸せ、とまた感謝。
日本はやっと酷暑が終わったと思えば、秋雨前線活動真っ最中。肌寒いのにこの湿気。

そんな中店先には秋を感じる産物が並び始め、それを手に入れられる幸せにもまた感謝する日々。この夏は日本でめいっぱいスローライフを楽しみました。梅干しも漬けたし、糠床も大活躍。今は菌が大活躍してくれて本当に良い香りになっていて、今年の糠はすべて年越しができそうです。乾いた涼しい風になるまでもう少し楽しみましょう。梅干しと言えば昨年のものがまだ残っていますから、最近は青魚の梅煮をよく作っています。娘のお弁当にも便利でこれもまた日本の知恵ですね。
走り秋刀魚を塩焼きにせず、梅煮に・・・塩焼きは次回・・・
鯖も梅煮にするととても美味しくいただけます。小梅が梅煮にはよいそうです。煮た後まで崩れず、食べてももちろんおいしいのです。
豆乳ヨーグルトも今年は良きパートナーとなり、毎回元気に発酵してくれました。麹と豆乳で作るヨーグルトが、玄米で作るものより私の胃腸には優しくて、暑い夏を乗り切れたのもそんなスローライフのおかげと感謝しています。

菌活って、言うのだそうですね。素敵な生活の知恵です。日本は昔からそんな言葉がないころから、皆菌活をしていました。夏は糠漬けに、冷汁。糠も味噌も日本と日本人を守ってきてくれました。体が元気でできる限り、こうした日本文化は娘に見せるだけでも伝えていこうと思っています。そんな中、秋の気配を感じると、今度は秋の仕事が始まるのです。これぞ四季折々の恵み。そう、まずは、栗。

何年も前に初めて食べた栗の渋皮煮。あの衝撃を今でも思い出します。そのころはもちろん母が作ってくれたものを私は出来上がった瓶詰をいただき、感動しながらも忙しさにかまけて作ろうともせず甘えてばかりでした。硬い栗がしっとり柔らかく形を崩さないまま、綺麗な藍色鳩羽色のシロップとともに出来上がった渋皮煮は贈り物にも最高です。前夜から準備を始めて、翌日はキッチンにこもりきりの長い作業ですが、こういう仕事も自己昇華、そこまで大げさではありませんが、一つの集中作業が、癒しにもなります。母の渋皮煮は本当に美味しくて、完全殺菌された瓶に多めの砂糖だけで煮ただけのその栗は、一年経ってもまだ食べられるほどの保存食でもありました。
前夜に湯の中に付けてひとばん放置した栗は鬼皮がやわらかくなっている・・・・はず。

小さな山栗は鬼皮をむくのが大仕事です。渋皮は傷つけないように。

重曹をたっぷり入れたお湯の中で数分茹でては煮こぼして・・・これを三かい繰り返します。
大事にとっておいて新しい栗が出始めてあわててクリームと混ぜた、通称モンブランケーキを作ったりして、それはそれでまたとてもおいしくて、自然の恵みに改めて畏敬の念を感じるものです。
一昨年前に作った自家製モンブランケーキ、カップケーキにも栗を入れて。渋皮煮をピュレにして生クリームを加えます。すると綺麗な鳩羽色をした、無添加クリームができあがります。
今年は近所の農家の栗林からの山栗サイズのものを安く手に入れました。店先で売られているものは大振りな栗がほとんどですが本当に短い走りの時に運よく手に入れられました。この、小さなローカルの栗は、時期が遅くなると本当に煮ても焼いても…という状態になり数年前に学びました。(笑)

この小さめの栗は大きな栗よりも甘みもあって私は大好きなのですが、渋皮煮を作るには鬼皮をむく作業がとても大変です。渋皮を傷つけないように向く作業は、コツと、集中力、また、忍耐も必要です。傷のついてしまった栗。また、何度もゆでこぼす作業の途中で壊れてしまったものは、(しかし、この小さめの山栗は大振りの栗より壊れません。不思議です)栗ご飯にしていただきました。赤米を混ぜたほんのりピンク色のご飯に、渋皮つきのゆでられた栗の鳶色に似た色がよく合って、見た目にもおいしそうでした。
ゆでこぼす最中に壊れてしまった栗や、作業途中で傷ついた栗を使って栗ご飯も楽しみました。
渋皮を傷つけてしまうと、最後の仕上げのシロップが澱んだり濁ったりしますから見た目も美しくありませんし、長期間保存ができないのです。

完成は間近。栗のシロップは濁っていない、綺麗な藍色鳩羽色になりました。
殺菌済みのガラス瓶にしまいました。
毎年必ず栗を見ると大変だけれど作りたくなってしまう、おいしいお菓子。
白砂糖は悪者の代名詞だけれどこと、栗の渋皮煮には大事な材料です。

小粒ですがしっとり仕上がりました。形はしっかりしていても柔らかな栗の出来上がりです。
今年も出来上がりました。まだ、母のような美味しい栗には、遠いかもしれないけれどこれだけ作れるようになりました。仏壇にまずはお供えして・・・合掌。